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夏といえば・・・Part1

     

    

皆さまこんにちは。

建窓センターキヨナガの小野です。

   

   

雨が降ったかと思えばカラっと晴れたり・・・安定しない天気が続いていますね。

せっかくの夏の時期なので、夏にまつわる小ネタを簡単にご紹介したいと思います♪

   

   

「 玉屋 」と 「 鍵屋 」

   

夏といえば花火

花火といえば「たまやー」という掛け声をするイメージ無いですか?

実際している人はなかなかいないと思いますが(^^;)

   

花火の歴史を織り混ぜながら「たまや~(玉屋)」「かぎや~(鍵屋)」について解説したいと思います♪

    

     

花火の歴史

    

■紀元前3世紀ごろ
中国の火薬の発明が戦の武器となり、やがて通信手段のノロシが夜にも用いられるようになって、

火薬をきらめかせる技術が花火へと発展しました。

愛知県豊橋市の「炎の祭典」(毎年9月第2土曜日)では三河伝統の手筒花火がなどが楽しめます

     

■慶長18年(1613年)8月6日

愛知県豊橋市の「炎の祭典」(毎年9月第2土曜日)では三河伝統の手筒花火がなどが楽しめます徳川家康が

日本で初めて花火を観賞したといわれています。日本では種子島の鉄砲に使われた火薬が花火へと発展

家康が見たのは竹筒に火薬を詰めて火を噴くだけのものでしたが、三河地方に残る「手筒花火」はこの名残だそう。

その後、花火は急速に発展し、江戸で開花しました。

    

   

■享保18年(1733年)5月28日

両国の大川(現在の隅田川)にて川開き花火大会(隅田川花火大会の原型)開催。

そこで活躍したのが日本橋横山町の花火師、鍵屋六代目弥兵衛でした。    

もともと「鍵屋(かぎや)」は、葦(アシ)の管に火薬を詰めて星が飛び出す花火を開発し、

商才もあって花火市場をほぼ独占していました。しかし、花火が火事の原因になるため町中では花火禁止令が

出され、隅田川の花火だけが許されていました。当時は納涼船を出して「鍵屋」に花火をあげさせるのが、

豪商たちの贅沢の象徴だったのです。

   

   

■文化5年(1808年)
「鍵屋」番頭の静七が暖簾分けをし、両国吉川町で玉屋市兵衛を名乗る。

やがて川の上流を「玉屋(たまや)」、下流を「鍵屋」が担当し、二大花火師の競演となりました 

これを応援するための掛け声が「たまや~」「かぎや~」だったのです。

   

    

■天保14年(1843年)
「玉屋」の出火で大火事となり玉屋市兵衛を江戸から追放「玉屋」は廃業しました。

つまり、「鍵屋」から暖簾分けした「玉屋」が存在したのはたった35年間だったようです。

   

   

    

・・・そんな背景があったとは・・・驚きでしたね!

今後、花火を見るたびにしみじみ思い出しそうです。笑

     

   

今年の夏も沢山の花火が見れるといいですね!